[1993年]
[1994年]
[1995年]
[1996年]
[1997年]
[1998年]
[1999年]
[2000年]
[2001年]
[2002年]
[2003年]
[2004年]
[2005年]
[2006年]
[Book Guide for Rusties Index]
[1月]
[2月]
[3月]
[4月]
[5月]
[6月]
[7月]
[8月]
[9月]
[10月]
[11月]
[12月]
あっさり外科編が終わってしまって、
未熟児病棟へ
こ、これは読むのがキツイ系に。
なお、少ない入院経験だが(大学付属病院)、
そのとき見聞きした様子は、この漫画のような状態を裏付ける
ようなものばかりだった(外科編)。
この漫画家も化けた感じで、
前作の
「海猿」は、
少し泥臭いけども感情表現もうまい絵なんだけども、
いまいちな感じがしたのだが、
今回は物語運びがうまくなっている気がする。
(どこがと言われるとうまく言えないところが素人ですみません)
本筋とは少し離れているが、ロンドンのボスニア和平会議での 新ユーゴスラビア連邦首相とセルビア大統領のやりとりのところが、 凄い緊張感があった。
「戦争プロパガンダ10の法則」でも
思ったが、素人には、もしくは当事者には本当のことは結局わからない
というのはよくわかった。
なぜならこの本そのものも、巧妙に仕組まれたセルビア側のPR企業の
戦略の上にまんまと載ってしまった結果ではないと、
いったい今の時点でどうやって私に言い切れるだろうか(悪文)。
なんて。
あのロボットは SFやガンダム?(よく知らないので半疑問系)と 工学の成果ではないかと思う。
小説とスポーツぐらいの違いがあると思う。
スポーツ小説はあっても小説はスポーツではない。
「ヒカルの碁」を描いている人が「サイボーグGさん」という 見るからにありがちな漫画を書いていたのが信じられないことや、 「め組の大吾」があんなに面白かったのに 「昴」が死ぬほどつまらないことなど、 漫画の世界は謎が多い。
「HAPPY」と「MONSTER」を同時に書いていた浦沢直樹に関しては、 あれは実は二人いるのだと思っている(もちろんFとA)。
ついでに、
「21世紀少年」はみんな勘違いしているようだけども、
あれは「ヤワラ」「HAPPY」系だろう。
関係ないか。
まあ文句なしに「MOONLIGHT MILE」面白いってことでひとつ
(追加: 2002/10/21)
で、もう一回読んで気がついたのだが、
今回の太陽放射線対策の緊急の船外活動で、
減圧作業は必要なかったのだろうか。
漫画なのでディティールにはあまりこだわらない質なのだが、
船外活動するための減圧作業のための時間は
前巻の物語の重要なキーとなっていたのに、
(体液が沸騰してしまうという話は?)
今回はまったく無視されているのが明らかに変ではないか。
明らかとか言いながら、
最初読んだときには気づかなかったのでOKか。
清水義範の文がなぜつまらないかというと「わかりやすく」説明している のではなく、単にスピードを下げて説明しているだけだからだ。
ロッキンオンに載っていたアサシン・ミッフィーのシリーズも全部 載っている。
西原理恵子の漫画が凄いのは、その放蕩やギャグだけではなく、 ときどき現れる鋭い洞察が類を見ないほど優れているからだ。
なお、2冊を通して読むと、自画像の変遷がわかって面白い。 最近の割烹着姿はOKなのだが、あの古代少女漫画のような(鉛筆を 横にササササと動かしたような)目はどうかと思う。
毎日新聞でついに子育て漫画連載らしい。
主に清水義範との共著から抜き出した2巻も出ている模様。 りえぞう漫画だけを目的に本を買っていた私からすると (編集会議は最近買わずに立ち読みになった) ちょっとショックだ。
できればあんまり江口寿史みたいなことはしないでほしい。
2001年の段階で彼が飲んでいた薬物のリストが載っているのだが、 凄すぎる。オチもあるのでその顛末は書けない。
いろんな学校のいろんあ教師の現場報告・考察が読める。 難解な言葉でこねくり回しすぎで、バカみたいな文もあるが、 どうやら全体で一致しているのは、 児童・生徒というのは、場を用意すれば主体的に学ぶという 文部省なり教育問題好きの評論家・一般市民の考えとそれに基づく政策は、 根本的に間違っている、ということだ。 良い授業、わかりやすい授業、詰め込みでない授業をすれば、自然と 生徒は学び、学力は上がり、教室の秩序は維持されるというのは幻想で、 まず教師が苦労するのは学ぶ体勢に児童生徒を持っていくことだそうだ。
確かに。
授業の崩壊とか言うけれども、
児童・生徒というのは何年もやっているベテランというのは居ず、
つねに同じ年齢の人間がやっているわけで、
どうしてそんなに突然変わるんだろうかと謎だったけども、
少しわかった気がした。
最近の社会の学校そのものへの期待度が全く変わったせいなのだ。
みんな知ってることか。
学校をさぼりがちな生徒の方がバイトをして裕福な消費生活を 送りがち、あたりの話は、現場の教師でないとなかなか理解し得ない 状況で面白かった。
すごい面白いのだが、なんで面白いのか説明できない。
私の安達哲贔屓を差し引いたとしても、
新境地に達しているのではないか。
それとも単に流しているだけ?
何の説明もなく男女二人の姉弟の話が始まる。
間違えて2巻を買ったかと思ったくらい唐突だ。
女の子のおでこは安達哲作品に出てくるオデコ少女をさらに
磨き上げた感じだ。
どうやら2人はほぼいつも親が家にいないらしい。
だが近所や街の人は親切で、姉弟は礼儀正しい(が慎重だ)。
一巻読んでも、姉弟の背景がわからないところも多い。
説明的なコマもいっさい省かれている。
そんな日常の様子の漫画。
しかし、ぜんぜん良さを説明できていないな、これでは。
たとえば沖縄問題、諫早湾問題、上九一色村などの現場で取材した 内容をただ書いているだけなのだが、一般に知られている内容と 少しずつずれている(ものによっては大変ずれている)。
単行本には珍しい解説つきで、しかもそれは村上春樹が書いているのだが、
彼が言うところのそんな「弱ってしまった」状態を、ただただ、
わかりやすく書いている。
そして、読んでいるこちらも弱ってしまう。
たとえば、一丸となって「小さな親切運動」に取り組んだ学校では、
生徒が人に席を譲った回数が月に百件以上あることが書かれている。
ただ書かれている。
それはちょっと多くないか、いやしかし、と弱ってしまう。
その学校の生徒の話、
「席を譲るためにはまず席を取ることです」
いやしかしそれでは、
まあでも、と弱ってしまうのだ。
そんな微妙な日本の様子が満載の本で、
こんな微妙なおかしさを持った本は初めてだ。
面白かった。
なお、私はアポロは月には行ってなくて、 地球の内側に行ったと思ってる。 (要は興味がないらしい)
しかしだったら前半だけの村上春樹を読むかというと、
読まないだろうな、きっと。
最近読むものすべてが「折り合いを付けて生きていくって難しいねえ」
と書いているような気がしている。んなこたぁない。
これもそうだった。
猫が話すのはどうかと思う。
さすがの村上春樹と言えど、 猫の見た目のスマートさや、飼い主のエスタブリッシュ度と、 その猫の性格描写を結びつけてしまっていて、 そこだけ信じられないほど凡庸だ。
大島さんやナカタさんはなんてことなかったのだが、
「田村カフカくん」と彼女は不機嫌な声で言う。「今何時だと思っているの? 明日の朝は早いんだよ、私は」
ううむ。
村上春樹の小説の登場人物(脇役に多し)の典型の一つなのですが。
苦手だ(この「苦手」は「弱い」と同じで、その「弱い」は「参りました。
なんでも言うことをききます」みたいな、そういう意味だ)。
なんてことを書いていて恥ずかしくないかと思われるかもしれないが
恥ずかしいに決まっているではないか。
「なにがあったのかは君自身にもわからない、 自分が今どこにいるのかもよくわからない。 説明すると長い話になる」と彼女はただ事実を確認するように言う、 「でもとにかくとても困っているのね?」
「とても困っている」と僕は言う。 ほんとうにとても困っていることが相手にうまく伝わればいいのだけれどと思う。
ううむ。
もっと活躍してほしかった。
が、別にどうってことのないインタビュー集であった(だいなし)
聴きたくなったのは小田和正「個人主義」だけ。
と思ったら最後の文章で、東浩記が「内容はたいしたことないじゃん」と 書いていて、ちょっと安心してしまったのが恥ずかしい。
途中の業界の人々の対談が、気持ち悪かった。
この本で語られている内容は、
私が考えるインターネットと違う世界の話のようだ。
そしてそれは良いことだと思う。
なんか変なアニメ系のアイコンがついた対談みたいな章間のページ、
なにこれ?
わからない。
ところで私は、 ベトナム戦争の映像に現れる子供たちは自分と歳がほぼ同じと気づいてから、 フィクション・ノンフィクション問わず、 ベトナム戦争を描いたものにはいつもそこの子供たちに 感情移入するようになってしまった。 この子はどうなったんだろう。今何をしているんだろう。 当時のことをどう思っているんだろう。と。
そういう気持ちに思いっきりストライクな内容だったので、もう。 この本によるとキム・フックは私より2歳年上(当時9歳)。 するとあの小さい子供たちが私と同じくらいか
。 この本、何がすごいかというと、あの爆撃に至るまでにかなり章を 割いている。彼女の祖母の世代から話が始まるのだ。 「9・11 N.Y.同時多発テロ事件衝撃の真実」 でも、最初の30分を割いて事件以前の消防署の様子が描かれているので、 その後の内容に深さが増したのと似ている。
誰が誰で、名前はなにで、どういう血縁関係で、どういう日々を 送っていたのか、までわかってあの逃げまどう映像を見ると、 やはり映像だけでは伝わらないことがたくさんあるのだと思う (こちらの感受性の問題かもしれない)
また、映画や通史ではわからない当時のベトナムの 米軍でもゲリラでもない 一般市民の様子の一端がわかる。 サイゴン陥落後の様子も。
キム・フックはあの爆撃のあと、文字通り生死を彷徨い、 なにしろ有名人なので、戦後は北ベトナムの広告塔となり、 医者になる勉強をしているという宣伝の裏では 実際はまったく学べず、その後キューバに留学し、結局 米国に亡命を果たす。今は子供を産んでいる。
現状の肯定と、語られていないこともありそうなことが気になったが、 wad's book reviewによると 「察してやれよ」だそうです。
ということで、
あの少女がこんな波瀾万丈な一生を送っていたなんて想像できなかった、
すごい本でした。
蛇足だが、
皮膚がはがれ落ちた乳飲子を抱えて、
道をまっすぐ逃げていく老婆の映像が同じときのものだとわかったが
(老婆も子供もキム・フックの血縁者だ)、
なにかで、この老婆が一ドル札を手に持っていて、ヤラセなのだ
(というかギャラを払ってポーズを取らせたのではないか)
みたいなことを読んだ気がする(ゴー宣な気もする)。
この本ではその話にまったく触れられていないが、
私の勘違いだろうか
1. われわれは戦争をしたくはない
2. しかし敵側が一方的に戦争を望んだ
3. 敵の指導者は悪魔のような人間だ
4. われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う
5. われわれも誤って犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる。
6. 敵は卑劣な兵器や戦略を用いている
7. われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大
8. 芸術家や知識人も正義の戦いを支持している
9. われわれの大義は神聖なものである
10. この正義に疑問を投げかけるものは裏切り者である
これ、ビジネス書とか人心掌握術とかに応用する本が出てきそう。
ちょっと言葉を置き換えるといろいろ使えそうだから。
一言で言うと、「アメリカの外交政策は十分テロ国家の 条件を満たしているから、人のことは言えないよ」という話。
しかし日本でもベトナム反戦運動をやっていた人は多いはずなのに、
こうやって根気深くわかりやすく語っている人がいないのは
(もしくは見えてこないのは)
なんでだろう。
政治活動に走っていった人たちはともかく、
べ平連とかやってた人たちって何してるんだろう。
チョムスキーは映画になるそうです(音楽:忌野清志郎)
しかしここまできても未だに不肖・宮嶋
(大倉乾吾も)
週刊文春グラビアの
ロシアでかなりヤバい金正日スクープ写真を撮ったり、
日本各地の事件現場に行っているのが偉い。
報道の使命とか言わないところも本音で。
この漫画忍者・大倉カメラマンは本名じゃないのはなぜだろう。
別冊宝島のシリーズは、漫画第一世代(ジョーとか飛雄馬)を対象にしたものだが、 これは「サーキットの狼」「ドカベン」「ドーベルマン刑事」など、 1960年代生まれが読んだ漫画(「Dr.スランプ」「北斗の拳」より前)を 対象にしている。
ぴったりと当てはまるわけだが、
「ドーベルマン刑事」だけ最終回を覚えていた。
でもあんまり懐かし感が無い。
漫画の台詞より多い注釈がついているので、 現代思想の受け売り本に使えるかも。かも。
ずいぶん多い量の注釈だが執筆者が書いてない。