紀伊国屋では研究に必要な本をやっと見つけた。 オウムを語る文章でよく引き合いに出されていた 高橋和巳「邪宗門」と「かもめのジョナサン」の 文庫本も買った。
その夜のニュースで、 僕が入ったその時間、そのトイレに青酸ガス発生装置があった ことを知った。中川智正と林泰男が仕掛けたものだった。
自分も「不特定多数」のうちの一人であることを思い知った。
なにしろあの新宿の地下道は毎日何万人もの 人間が通るところだから、こんな体験は珍しいことではないだろう。 あのころの東京はこういうことが身近であっても決して珍しいことではない。 そんな雰囲気に包まれていた。しかしまだどこかで他人事のようにも思っていた。
この本は地下鉄サリン事件の被害者に約一年をかけて村上春樹自ら行った インタビュー集。著者が知りたかったのは「そのときその場に居合わせた 人は何を見て、どういう行動をとり、何を感じ、考えたのか」ということだった。 その通りに関係者の発言はそのときの状況を明らかにしていく。
TV映像というのは不思議なもので、事件の現場をリアルに伝えてくる一方で、 僕にその映像以外のリアルへの想像力を失わせるときがある。見たのは 路上に座り込む人々、殺到する救急車や、警察や自衛隊の化学防護服姿の 隊員の映像など。しかし、座り込む人々がどうやってそこに座り込むに至ったか、 は知らなかった。路線ごとに章分けされたこのインタビューで、 その異常な状況がありありと浮かんでくる。 事件後の被害者の苦しみがまだ継続していることが明らかにされる。 迫真のドキュメントである。
しかしいったいどうして村上春樹なのか。
村上春樹が「僕」ではなく「私」と書いている のだが、これはいったいなぜだろう。
彼の小説の主人公は嫌なやつが多い。ソファやサンドイッチにこだわりを持ち、 孤独なのだが自分のライフスタイルに疑問を持っていない。 お祈りの真似事にカントを持ち出してみせる。いつも冷静だ。 僕って変わっているでしょう、ってのを自分の口からではなく 脇役に言わせるいやらしさがある。「変わっているね」と言われて肯定も 否定もしない(肯定しているのだ)。それはまた村上春樹のエッセイに 感じることがある。主人公は著者と等身大ではないが、著者のある部分を 拡大した性格のようだ。短編を除けば、主人公の人間性はいつも同じだ。 どこか世の中と間を置いている。仕事や学生をしているのだが、そこでの 描写は少ない。いつも 社会との関わりを避けている人間ばかりを描いていたのだ。
だから村上春樹はたとえば「毎日地下鉄を秒単位の遅れもなく動かすことに 命をかけているような地下鉄職員」を書くことはなかった。 彼はヨーロッパ、アメリカと長期滞在し、 喪失感に満ちた「ノルウェイの森」、 六体の白骨が並んでいた「ダンス・ダンス・ダンス」、 そしてあの救いようのない「ねじまき鳥クロニクル」を書き終え、 日本に戻ってきた。
ところが、次に出てきた書き下ろしが、 インタビューに一年を費やしたというこの「アンダーグラウンド」なのだ。 ここに出てくる人は先の地下鉄職員をはじめ、体に異常を感じながらも 会社にとにかく行こうとしたり、二時間半かけて殺人的混雑の電車で 通勤したり、住宅ローンが始まったばかりだったり、やたら忙しい ソフトウェア会社の人だったり、事故が起こって「これで学校を 休める」と思った高校生だったり、都市部のほんとうに「ふつう」の人たち ばかりだ。
この本を読むと、これまでの村上春樹が 決して描こうとしなかった日本のふつうの社会と人々が浮かびあがってくる。 きっとこれまでであったら「毎日地下鉄を秒単位の遅れもなく動かすことに 命をかけているような地下鉄職員」や「たとえホームに象の死骸が 転がっていようと、それに目を留めようとせず会社に向かうような」人は、 負のイメージで小説で表現された。もしくは「人間いろいろ生き方があるのものだ」と 関わり合いを遮断しておしまいだった。
この違いが「僕」と「私」の違いだと思う。
最終章で、若者を引き付けた麻原教祖の差し出す物語をばかげたものとしたあと、 しかしこう書いている。
しかしそれに対して「こちら側」の私たちはいったいどんな有効な物語を 持ち出すことができるだろう? 麻原の荒唐無稽の物語を放逐できるだけの まっとうな力を持つ物語を、サブカルチャーの領域であれ、メインカルチャーの 領域であれ、私たちは果たして手にしているだろうか?そしてこの物語を作り出すことが小説家として長い 間彼がやろうとしていたことだという。
彼は長い海外滞在で明らかになった日本の「ばかげた」様子と「居心地悪さ」に 対して関わり合いを遮断するのではなく、その人々と社会に積極的に関わっていこうと しているのだろう。 おそらく次の長編は「ノルウェイの森」に驚いたように、 新しい境地に達したものになるのかもしれない。 そんな村上春樹の小説がはたして面白いかどうかはもちろんわからない。