娘が幼稚園で少しきつい言い方をすることがあると婉曲に幼稚園の先生がおたより手帳で伝えてきてくれた。うわー、これ俺の影響じゃね。下の子が2-3歳特有のわがまま期で、さいきんキツめに叱責することが多いのだ。それを真似してるのだ。
とにかく小さい子はすぐ真似する。親の挙動、言動を学習する。ある日、3歳の息子が「あの赤いヤツをとってきて」とか五歳の娘が「あのかっこいいヤツね」とよく言うことに気づいた。やべえよ、俺の影響だよ。ちょっと気になるのでどうやって矯正するか悩む。
私は、ある日思い立って二人に言ってみた。「『ヤツ』という言葉は不愉快な人がいるし、乱暴な言葉なのであまり使わない方がいい言葉だ。お父さんも使ってしまうことがあるけども良くないね」と。
二人は真剣に聞いてる。
「だからね」と私は続ける。
「これから『ヤツ』という言葉は使わないようにしよう。これから『ヤツ』と言ったらヤツポンだ。『ヤツ』と言ったら、おでこを『ヤツぽーん!』と叩いていいことにしよう」「うん、わかった」と姉弟は声をそろえる。いい子たちじゃないか。
「練習してみよう。ほら言ってごらん」「ヤツ」「ヤツぽーん」わはははは「では今度は父ちゃん言うからな」「うん」「ヤツ」「ヤツぽーーーーん」わはははは。けっこう面白い。「ようし、決まりだ。じゃあ今日から『ヤツ』と言ったらヤツポンだぞ」「うん」
で、どうなったかと言うと、その日から子供たちは一度も「ヤツ」と言わなくなった。すげえよ。けどそれじゃゲームがつまんねえよ、とかすっかり手段が目的化してしまった。そう、賢明なる皆さんはお察しかと思いますが、とにかく私がことあるごとに「そこの向こうのヤツとって」「ヤツぽーーん」「洗濯機のしたにあったヤツで」「ヤツぽーーん」「昨日もってきたヤツがさー」「パパヤツぽーーーん」まあ一時間に一回はヤツポンされる羽目になった。なんだ私はとんだヤツポン野郎だったわけだが、さらに可笑しいのはうちの奥さんもちょっとダラけるとヤツポンだったのだ。私より数がすくないもののけっこう使っているのがわかった。
なんだったっけ。
叱責の話だ。
子供のわがままについ強く対応しがちだけども、それはあんまりよくないというのは知っている。最近もちょっと内輪で話題になっていたけども、こういうときは肯定論法で対応すべきだ。肯定論法というのは正しい言葉かわからない。街のファシリテータからサンデルさんまでよく使う、 “Yes and … question?”、「(そうだね|なるほど)、では○○はどうだろうか?」というパターンだ。またこれが難しい。全員に目的意識がある職場ではよほどのことが無い限りこれで議論が転がるけども、ほんの少し前まで人間というより動物、そうアニマルというカテゴリにいた子供たちがそんな簡単にいくとは限らない。
で、先日の朝、妻が作ったおむすびをなかなか食べないと言ってたので、通常であれば「屋久島に行くか?」と脅すところであるが、試しに肯定論法をトライしてみた。なぜ屋久島なのかは話せば長くなるけど、ただいま屋久島は息子の恐怖ワードになっている。いつまでもおむすびについている梅がやだとか言うので(本当は梅干しが好物)さじを投げかけたが、では父ちゃんは今から支度をがんばってするから、君もがんばって食べてみるか?と言ったらうなずいた。うなずいた、今うなずいたよ。よしじゃー競争するぞ、せーの。といって支度して戻ってきたら3つあるミニおむすびのうち2つを食べてた。すげえよ肯定論法。つうかめんどくせえよ子育て。
ただしこれは私だったから、というのがあるみたいだ。奥さんの前ではかなりわがままだそうだから。ちなみに「父ちゃん好き?」と聞くと「好きだけど、怒ってる父ちゃんは大嫌い」と言われた。父親の怖さの演出をどのくらいするか、というのは未だ決まっていない。どうしよう。父ちゃんなんて小心者で根性のないワックだと、化けの皮はどうせ思春期あたりで剥げるだろうけども、それまでな。ホントどのくらいのレベルがいいんだろう。ナチュラルボーン・ヤツポンの苦悩はまだまだ多い。